長学寺 七日市藩主前田家の墓所(富岡市)

祝融山神泉院長学寺本堂

長学寺は、祝融山神泉院長学寺といい、釈迦牟尼仏を本尊とする曹洞宗の寺です。長学寺は、勅命により関東諸国を巡った弓削道鏡が薬師如来を勧請したことに始まりとされます。承和2年(835年)山城国 高尾山神護寺(京都府)の真済が勅命によって関東諸国に一切経を納めた際、貫前神社の宮司に適地を選定させ、当地に一堂を建て祝融山高尾寺として開山しました。

その後、建久4年(1193年)曽我十郎、五郎兄弟の死を悲しんだ虎御前が信州善光寺を訪れる途中、当地で兄弟の菩提を弔い寺号を長学寺と改めたと云われています。応安2年(1369年)になると、甘楽郡内に勢力を持っていた藤原氏が、曹洞宗高祖道元禅師の法孫、通海良義を招いて開山第一世とし、 永禄年中(1558年~1570年)に宝積寺(甘楽町)の九世儀山沅考が開山良義禅師の徳を慕って再興して現在に至っています。

元和2年(1616年)に加賀百万石前田利家五男利孝が七日市藩主となり菩提寺とし、二代利意(としもと)の代に寺領三十石を寄進し手厚く保護しました。当寺の境内には藩主前田家の霊廟があり、富岡市の史跡に指定されています。

七日市藩主前田家の墓所

七日市藩主前田家の墓所

七日市藩主の前田家は、元和2年(1616年)から明治に至る二百五十有余年、十二代にわたりこの地を治めました。

前田家の墓所は東京駒込の吉祥寺と長学寺に分かれ、長学寺の境内では斜面を上下二段に造成して独立した墓所となっています。墓所には承応元年(1652年)から明治17年(1884年)までの二十二基の墓碑がり、上段中央には、二代利意、三代利廣、五代利英(としふさ)、六代利理(としただ)、十代利和(としよし)の五人の藩主の墓碑が大型の五輪塔で建てられています。

このほか長学寺には吉祥寺に埋葬された一族も記録した過去帳、関係する25牌の位牌も保管され、高さ16.5センチの藩主木像(坐像)も残っています。墓所も含めたこれらは富岡市の史跡に指定されています。

大イチョウと傍らの七日市藩重臣の墓

大銀杏と傍らの七日市藩重臣の墓

富岡市の天然記念物に指定される大イチョウは、鎌倉時代に曽我兄弟の死を悲しんだ虎御前が自らの手で植えたとされ古くから虎銀杏と親しみを込めて呼ばれ、また、杖を挿したのがついたとのいわれから逆さ銀杏とも呼ばれています。樹高は31メートル、根回り周囲8.5メートルの雄株巨木で樹齢約600年と推定されています(富岡市指定天然記念物)。

大イチョウの袂には保坂、大里、斉藤、海野、内藤、畑等の七日市藩重臣の墓もあります。

長学寺の梵鐘

長学寺の梵鐘は口径64センチメートル、総高112センチメートルのやや細身の鐘身(しょうしん)で、製造年代は不詳ですが特徴から室町期の作とみられ、群馬県の重要文化財に指定されています。

観光地・施設情報

所在地群馬県富岡市上高尾700
お問合せ先祝融山 神泉院 長学寺
電話番号0274-62-1600
料金拝観料なし
時間なし、ただし日中などご迷惑にならない時間帯で
定休日なし
駐車場参拝者駐車場あり
トイレあり
自販機
売店
その他

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