新島襄旧宅(安中市)

安中市・新島襄旧宅

新島襄は、天保14年(1843年)に、安中藩士 新島民治の子として江戸神田の上州安中藩江戸屋敷で生まれ、本名を七五三太(しめた)という。21歳で渡米の際、ワイルド・ローヴァー号の船長から「ジョー」と呼ばれたことから、その以後その名を使い始め、帰国後「襄」と名乗ったといわれています。

渡米しキリスト教徒となった新島襄は、故郷の安中へ帰郷しキリスト教を伝道。その後、かねてから親交のあった高松保実より高松家別邸の約半分を借り受けて同志社英学校を開校し初代校長に就任しました。開校にあたり京都府顧問であった山本覚馬の賛同を受け、その縁で山本覚馬の妹・八重と結婚したといわれています。新島襄は、新聞、雑誌に「同志社大学設立の旨意」を掲載し協力を呼びかけていたが、明治22年(1889年)、前橋市で心臓疾患を悪化させ倒れ、明治23年(1890年)に47歳でこの世を去りました。

新島襄旧宅では、その遺品や関係書類、写真などを展示しています。

新島襄旧宅内観

観光地・施設情報

所在地群馬県安中市安中1-7-30
お問合せ先安中市教育委員会 文化財保護課(学習の森)
電話番号027-382-7622
料金無料
時間■3月~11月
9:00~17:00(入館は16:30まで)
■12月~2月(冬季)
9:00~16:30(入館は16:00まで)
定休日月曜休館(月曜が祝日の場合はその翌平日)
年末年始休館(12月28日~翌1月4日)
駐車場あり
トイレ
自販機
売店
その他

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